人生早めにつまづいたもん勝ち。
いちばんだいじなことは、 シンプルすぎてむずかしい。
頭で覚えただけの知識はすぐに忘れるし、 長年の積み重ねで得た経験と知恵は、自分と一緒に土に還る。 人の心に深く伝え残したものが、その後も活き続ける。
自分で注文したもの食べてる時は、 オープンキッチン覗くの禁止。 他人のもの見て満足した気になってしまう。
晴耕雨読って、 のんきに聞こえるけど、 自然の気まぐれに素直に従うゆとりと、 それでもやることやる逞しさがないとできない。
知りすぎると、足がすくんで進めないこともある。
捨てられないものには、それが必要だという意味がある。 なぜ必要なのかに気づけば、手放せる。
やることがなさすぎると、弱っていく。 自然はゆったりしてるかもしれないが、ヒマしてるわけじゃない。
風呂に入ったら、気持ちや想いも洗ってあげよう。 身体みたいにきれいさっぱり落とせなくてもいいからさ。
環境を変えると、自分自身よりも自分のルーツが立ち現れた。 むしろ、なにものにも依らずに表現できる「自分」などあるだろうか?
自分の中心に自分がいれば、言いたいことは伝わるものだ。
自分という存在は、このひとつの身体だけでは成り立たない。 身体と、身体が出会うすべての現象によって像を結ぶ。
選択肢があるというのは、恵まれているが、苦しい。
だいじなことは、空白から生まれる。
摩擦があるから人は歩ける。
昨日の自分の言葉に、 今日の自分が救われる。後退してるようだけど、 より深く身体に染み込んだんだ。
行き止まりにぶつかったら、思いを開く。 心が開けば、道が拓ける。
自分に自信はもてなくとも、 そんな感情などあずかり知らぬところで輝き続ける 自分の魂に誇りをもちたい。
想いが挫かれたとき、それが本物かどうかがわかる。
歩き続けずに登りつめた人は誰一人いない。
自然は隠しごとをしない。
チャンスが来てからがんばっても、おそいんだ。
必要なものを既にもっていることを知るためにいろんなものを手に入れ、自分自身が自分の居場所であることを知るためにいろんなところを旅する。でも、それをしなければ、本当は必要ないんだとわからない。
相反するもののせめぎ合いから、新しいものがうまれる。 葛藤から、矛盾から、新しいことがはじまる。 ぶつかり合うところに飛び込んでみなよ。
やりたいことをやりきる時間は、いまある余命におさまるだろうか?
寄り添うこころがあれば その行為は愛になる。
調和というものは、相異なるものが出会い、矛盾や葛藤を生み、それを超えたところにやってくる。 同じものがきれいに並ぶのは、数が増えてるだけ。
何事にも動じない据わりようには憧れるけれど、 いろんなものに苦しみを覚え、怖れを抱えながら、 なおそれを抱きとめ、見つめ、自己を失わないでいようと思う。
あなたの才能は、あなたのためにあるのではない。 あなたと出会う人々のためにある。
のった方がいい波と、 のっちゃいけない波がある。