八方塞がりと雖も天地の二方に通じて居れば危うからず。 四方自由と雖も天地に通じることなければ則ち危うし。
人はみんな、自分にしか解けない問題を解くために生まれてきた。 他人の問題を解いたつもりになって、浮かれていてはいけないのだよ。
下着は最後のラッピング
平凡 平凡 = 非凡 (平凡 ^ 平凡 = 非凡)
全力で生きていると、人に感謝できる。
普段見慣れているものを鏡越しに見ると、なぜにこんなにもどかしい。 鏡でしか見られない自分の顔は、きっと自分が気づいてないあんなことやこんなことまで語ってるんだろう。
せき立てられて火を点けられる前に 自分で自分のお尻に火をつけろ
シンプルなものってのは、頭ひねってあれこれ付け足した後、腹くくってそのほとんどを削ぎ落としてできあがる。
リーダーシップっていうのは、周囲に助けが必要なことに気がついて、先に手をさしのべてあげること。
エンジンの力で、雲を切って飛ぶのもひとつの飛び方、 気流を読んで、それに乗っていくのもひとつの飛び方。 自分の得意な飛び方で飛べばいい。 でも、苦手な飛び方も、いつか必要になるときがくる。
目に見えるものにはとらわれやすい。 でもそれは結果として出ちゃったものだから、どうにかしようとしても既に手遅れ。 目に見えない気配をつかまえろ。
失敗して、成功して、 そうしてようやくひとつのことを学べる。 どっちもとばしたらあかん。
全力を出すことまでしかできないのに、完璧を目指すという罠。
その快感は本当に自分のもの? その苦悩は本当に自分のもの? それは自分のそばを通り過ぎるものであって、 自分自身はもっと違う次元にいる。
大切なものは少ない方がいい。 両手に抱えられるものは、そんなに多くない。 自分を満たすものも、ほんとはそんなに必要ない。
「あとちょっと」が起死回生の一押しになることもある。 でもタイミングを失すると、グダグダの悪あがきになる。
迷ったら、 楽チンなことより大変なことを、 心がフワフワすることより肚が落ち着くことを、 欲望を満たすことより魂が喜ぶことを選べ。
愛を感じるためには、何もしなくていい。 愛を共有するには、意志と行動が必要だ。
はだかになったぶんだけ、傷つきやすいけど はだかになったぶんだけ、深く、深く、リアルに味わえる。 最初はみんな、はだかだった。 いまからでも、はだかになれる。
吐く息で私が世界に放出され、 吸う息で世界が私に流れ込んでくる。 そんな深呼吸をしたい。
自然は何も隠しごとをしない。
本番がいくら短くても、普段の姿が必ず現れる。準備、準備、準備。何気ない一言や箸の上げ下ろしでさえ、下ごしらえの成果として生まれ出るのを密かに待っている。
人間は、肉体と精神のみの化合物ではない。 出来事や人との出会い、日々に為すこと、身体に対するイメージ、能力や性格への評価、物事の受け止め方と選び方、 ぜーんぶひっくるめてひとつの存在を創っている。
大自然の中や慣れ親しんだ心地よい場所に行くと、身体は大きく広がっていく。 汲々したところに戻ってくると、元の身体に縮んでしまう。 まるで時間が戻ったように、身体は場所土地に反応する。
得体の知れないものに名前をつけると安心できる。 そして名前は、思考停止も誘い出す。
野生とは、 溢れる刺激に埋もれない澄んだ感覚と、 ひとりでも大地を踏みしめてやり抜く力と、 大きな存在にすべてを明け渡す広い勇気だ。
電光掲示板は、光る部分と、暗い部分があるから、文字が読める。 光らないことも、大事な役目。
ふと手に取った物に、わたしの鼓動が伝わって震える。 あなたの触れるものすべてに、いのちの波が伝わる。
ガイドブックで語り尽くせるほど世界は定型化してないが、 それしか見ないなら他に見いだせるものはない。
その選択のしかたが人をつくり、 その選択の結果が一生をつくる。